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岸先生、バレてます!


「コーヒーの味、いつもと違わないか?」



 何気なく囁いた俺の言葉に、ぱぁっと顔を明るくし分かります!?と
嬉しそうに微笑む宮崎。

 先生いつもブラックだし、身体のことも考えて微糖入りのメーカーに
変えてみましたと打ち明けられる。

 コイツと付き合うようになってからまだ日は浅いものの、一緒の時間を
過ごせるだけで幸せを噛みしめる岸。
思っていたより自分は彼女に惚れ込んでいるようだ。



「美味いよ、ありがとな」
「ど…どういたしまして…」



 恋愛経験の少ない宮崎は、こんな些細なやり取りでさえ頬を赤らめる。
中学生でもあるまいし…年相応に経験豊富な岸だったが、智尋の前では
自分も学生に戻ってしまっていた。

 あからさまに照れるな、俺にも伝染る。そう嘆いた岸を見て驚きながらも
すみませんと嬉しそうに笑っている。

 これが惚れた弱みというやつか…いつになったら手が出せるのやらと
ここ最近の悩みの種でもありうなだれるしかない岸。

 数時間ほど人気のドラマを見ていると、夜中の9時だというのにドアの
向こうに来訪者が訪れた。

 誰ですかねぇ?と言いながら小さな穴から外を覗いた彼女は、慌てて
扉を開ける。



「おっ、お…お母さん!?」
「久しぶりやねぇ、智尋。いつまで経っても連絡がないから遊びに来てしもうたわ」



 ボストンバッグを2つ抱えながら、部屋に入ってくる宮崎の母親は俺の
姿を見つけて少し驚いていた。
 あれまぁ…とお辞儀をされた自分は、今までで一番情けない声で返事を
したような気がする。



「お、お邪魔してます…」



 突然やって来た彼女の母親との対面に、岸は硬直し自分が何者であるかを
告げるだけで精一杯だった。



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「あれ~、この卵焼きどうしたの?」



 森井くんの淹れたコーヒーを飲みにやって来た細木先生は、机に
並べられた大きな卵焼きをつまみながら岸に話しかける。

 実は、うちの母が昨日から家に来てまして…どうぞ、たくさん
あるので食べてください!と智尋は言った。

 奥から次の検査資料を運ぶ森井くんも、絶品でしたよともう1口
放り込む。ありがとう、遠慮なく頂くわねと言って椅子を岸先生の
机に勢いよく引き寄せる細木。



「あんた、鉢合わせしたんでしょ」
「……うるせぇ、重い」



 面白がっている同僚をよそに、今日は定時で上がらせるべきだな…
と横目で宮崎の仕事量を確認する。

 別にやましいことなどしていないが、やはり付き合っている彼女の
親に会うのは特別なことだ。しかもタイミングが悪すぎた。
あの状況では誤解されたとしても仕方がない…



「宮崎、今日は家で家族に奉仕しろ。その分、明日から給料分きっちり
働いてもらう」
「先生…ごめんなさい、ありがとうございます!」



 そんなとびきりの笑顔を見せられてもこちらとしては胸が痛いだけだ。
しばらくはコイツの自宅に行くのは止めよう…岸に落ち度はないものの
これまでの行動を反省するのだった。









「ふぅ…今日はこれくらいにしておくか」



 まだ18時を回った頃だったが、来週のカンファも少ないし仕事を
残してパソコンの電源を落とす岸。

 皆を帰宅させた後、自分も戸締りをして病院を出た岸は思わぬ人物に
待ち伏せされていた。

 今日はもう自宅に戻っているはずですが…と切り出した俺に彼女は
先生に用事があるんですよと微笑む。その人物は、昨夜マンションで
遭遇した宮崎の母親であった。

 他愛もない世間話を一通りしながら、駅に近づいてきた岸は丁寧に
ここで失礼しますとお辞儀をする。先生は、智尋とお付き合いされて
いるの?とふいに後ろから囁かれた。



「……はい。ご報告が遅れて大変申し訳ありません」
「ふふっ…あの子、面倒くさいでしょう?」
「え?いや、あの~…そこも含めて長所だと思ってますが」



 しどろもどろに話す俺を見て、ごめんさない…責めてるわけじゃない
のと肩を震わせている。

 ただ…見ての通りあの子は大事なことは何も言いませんから…時々
もの凄く不安になるんですよと溜息を吐かれた。



「先生…智尋は医者としてきちんと皆さんのお役に立っているんでしょうか?
 病理医なんてものに転職したことも知らなかった私が言うのも何ですが…」



 小さい頃からこうと決めたら絶対に意見を変えない子で…医者に
なるって聞いた時もお父さんからは猛反対を受けたんですよ?…

 どうしてそんなに反対するのか聞いてみたら、智尋は優しすぎるから
いつか心が参ってしまうんじゃないかって…

 結局、反対を押し切って医大に合格しちゃったんですけどね…と
彼女の母親は懐かしそうに当時を振り返り微笑んだ。

 岸は、ゆっくりと歩幅を合わせながら本当に娘のことを心配して
いるのであろうお母さんへ静かに語り出した。

 確かにお嬢さんはまだ一人前の医者とは言い切れません。私から
見てもまだ未熟な部分が多々あります…ただ…それを補えるほどの
精神力と患者を想う気持ちは誰にでも身に付けられるものじゃない…

 私は1度医者として挫折を経験し、病理医になりました。そんな俺に
彼女は色んなことを教えてくれて逆に救われたのも事実です。



「先生は…あの子のこと理解して下さってるのね」
「私個人としての意見だけじゃなく…医者として部下として…必要です」
「あなたは…娘との未来を考えられたことがありますか?」



 言葉にしなくてもきっと何もかも見透かされているんだろう…岸は
ただ何も言わずに頷く。

 智尋があなたの傍にいるのなら、もう少しだけあの子を遠くから
見守ろうと思います…お母さんは深々と俺に礼を捧げた。



*****************************************************



 週末も観光三昧だった母は、満足したのか日曜日に乗る新幹線の切符を
すでに購入していた。
 お盆には帰るからお父さんにも伝えておいてねと私が言うと、今度は
岸先生も連れてきなさいと頭を撫でられることに。



「智尋…皆さんと先生にご迷惑をかけるんじゃないわよ」
「え!?何で分かったの…じゃない、分かってるってば!」



 こうして嵐のような3日間が終わり、遠くで見守っていた岸先生が
私のそばに寄ってきた。

 どうせなら見送りしてくれれば良かったじゃないですか…と頬を
膨らませて怒る彼女に苦笑いする岸。



「いや…お前のお母さんには敵わねぇな~って…」
「もしかして母に何か言われました?」
「う~ん?…いや何も」



 あからさまに誤魔化す先生に、絶対何か言われましたね!と泣きそうな
顔で詰め寄る。お前に心配されるほど俺は落ちぶれてねぇぞと強がったが
なぜかお見通しだった。

 彼女が娘の様子を見に来た理由はきっと俺だろう…医者としての仕事も
心配だったのだろうが頻繁に電話で名前を聞く「岸先生」という人物が
気になったのだと白状された。

 調べてみれば、今まで勤務していた臨床医ではなく「病理医」という
聞いたこともないような仕事。事の顛末を知るまでは、落ち着く暇も
なかったようだ。



「宮崎、暇なら映画でも見て帰るか?」
「え…いいんですか!?でも、人目が…んっ…!」
「別に…言いたい奴には言わせとけ」



 優しく押し付けられた口唇は、今までで一番甘いキスだった。もう
お前に対して我慢するのは止めようと思ってな…今日の夜も返せないかも
しれないから覚悟してろよと手を引っ張られる。

 それはあくまで冗談だが、今の智尋には全く通用していないようで
愛しさが溢れてくる。

 この先の未来なんぞ俺にはまだ分からないが、きっと5年後、10年後も
医者であるお前の志が自分を強くしてくれるだろう。
その事実だけは永遠に変わらない…そう確信する岸であった。



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