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今はまだ

岸×宮崎(6巻ネタばれあり)

病理医の世界は奥が深いですね・・・。
何であれ医療関係で働いている人は尊敬に値します。



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「あんた、あの子をどういう風に育ててるんだい?」



 宮崎の1時間にも及ぶ講演が終了してから、受付に座って
いた岸の元へ多田教授が現れた。

 いや、基本的には放置してますけど…とありのままの現状を
伝えたら勢いよく拳が振り落とされる。

 痛いよ、少しは加減してくれないかなと一応先輩だという
心得はあるらしく小声で呻く。

 何考えてるのよ!?あの子は貴重な病理医の未来を支える
若手のホープなのよ?とさらにまくし立てられた。



「まだそのレベルにも達してないと思いますが…」
「ふん、その前にあんたに部下が出来たことが晴天の霹靂だわね」



 それは岸自身も思っていたことなので、あえて反論することは
なかったがやはり他人に言われると複雑だ。

 あの子、お前の話ばっかりしてるけどほとんどが悪口でとても
手本になっているようには思えないと告げられる。

 まぁ…あれはあれで結構役立ってるんですよ、本人に自覚が
ないので言わないですがと岸は間髪入れず突き返す。

 それに宮崎先生だっけ…?あんたと同じ臨床医から転向してきた
らしいじゃないのと含み笑いする多田教授。

 えぇ…だからまだ病理医の本当の過酷さが全然分かってない
ひよこなんで大目に見てやってくれませんかと頼まれた。



「教える気はないってこと?」
「いずれは…ただ今はその時期じゃないんで」
「一応、大事に想ってるのね」



 私の一言が気にくわなかったのか、眉毛をピクッと引きつらせ
思いっきり睨まれるはめに。

 全く…俺の方針に口出すなってことか…相変わらずやりにくい
男だねぇ…多田は静かに溜息を吐いた。

 岸…1つ忠告しといてやろう。あんたが部下にどんな感情を
持ったとしてもあたしらには関係ないことだ。

 だが…あまり囲い過ぎるな。そのせいで彼女の道を塞ぐことは
お互いのためにはならないと吐き捨てられる。



「ばあさんに言われなくても、とっくに自覚してますよ」
「ホゥ~、こりゃ本当に珍獣が出てきたね」
「……細木に比べれば何てことないでしょ」
「……明豊堂のカステラ、よろしくな」



 呆気にとられる岸を横目に、肩を震わせながら会場へと戻って
いく彼女の後ろ姿を眺める。

 チッと軽く舌打ちしたのは図星を突かれたせいなのか、それとも
久々に説教されたせいなのか。

 去年とは違う今年の講演会に、岸も仲間の病理医たちも嬉しさを
堪えることが出来なかった。



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 学生たちを挟んでの交流会は、いつの間にか恒例の大宴会へと
変化しつつある。

 休憩しようと外に出た智尋は多田先生から昔、もうこの会合を
止めようかという話になったことがあると聞いた。

 でも、その時ただ1人反対したのが岸先生だったらしい。ここに
いる学生が誰1人病理医にならなくても良いんだ。

 ただ、病理医という仕事を知ってもらって僕たちの未来の仕事
相手になってくれたらと…

 先生はどんな思いでその言葉を発したのだろうか…悲しみ?期待?
どれも違うような気がした。

 ほろよい気分で受付の方へ向かうと、片付けをしながら酒を嗜む
岸を見つける。



「…お前、どうしたのその頭」
「はい!多田教授が宣伝でつけなさいって」
「…酔ってるな」



 私も後片付け手伝いますね!と言って、そばに置いてあった俺の
つまみを盗む宮崎に殺意を覚えたのは内緒だ。

 会場の様子はどうなってる?とテキパキ作業をしながら質問された
私は大騒ぎですとだけ答える。



『病理医を志望した生徒なんてこの17年間1人もいないわよ』



 あまりにも衝撃的だったその事実は、智尋の頭の中で何時間も前から
こびりついて離れない。

 私は何で病理医に転科したんだっけ…自分の貫いた意志ですらその
年月の前ではちっぽけで無意味なことのように思えた。



「先生…病理医は本当に大変な仕事なんですね…私…学生の志望人数が
 0人って聞いて…」
「…怖くなったか?」



 さすがだ…伊達に1年も私と過ごしてきていない。岸先生は
当たり前のように私の心情を言い当てた。

 そういうわけじゃなくて…ただ、何だか凄い使命感がないと
病理医が続けられない気がしたんですと呟く宮崎。

 俺たちは病理医の過酷な現実をすでに嫌という程味わっている。
だが、コイツにとっては今日が初めてだ。

 別に期待しているわけではない。多田教授が言っていた言葉は
偽りではなく本心であろう。

 たとえ宮崎が頑張って優秀な学生を勧誘したとしても、本人の
続ける覚悟がなければどちらに行こうが結果は見えている。

 実際、医者の種類など関係なく自分の欲望に負けず様々な患者と
向き合っていける精神力が必要なのだ。



「お前はそのままで良いんだよ。最初から言ってるだろ」
「先生…今の私は進むべき方向を間違っていませんか?」



 間違ってるも何も、お前はいつも俺の言うことなんて度外視で
聞かん坊じゃないかと岸は言った。

 そ、そんなことないですよ?と罰が悪そうに引きつった笑顔を
向ける彼女に思わず吹き出す。

 きっと傷ついたり悲しそうな顔をするだろうと思って、わざわざ
言わないでおいてやったのに…

 岸先生は、誰もいないな…と囁いて黙り込む私の腕を引っ張ると
そっと頬に口付けた。



「なっ…な、な、何をするんですか!!」
「半分はお前が悪い。触れられたくなかったらその耳はずせ」



 真っ赤になってつけ耳を外す宮崎は、口には出さないが俺を
余計に煽る一因でしかない。

 ただ…お前はまだ知らなくても良い気がした。病理医である
俺たちの本当の苦悩を…

 気にするな。多田も若槻も楠教授もみんな個人的な理由が
あってこの道に進むことを選んでる。

 俺だってそうだろ?と付け加えられ、一瞬固まった智尋だが
自分の目を真っすぐ見て言い放つ。

 先生は一度失敗したかもしれません。でも、病理医になった
選択は間違ってないと思います!と怒鳴られた。

 お前に言われるとそんな気がしてくるよ…と観念したように
微笑む岸。



「大丈夫、お前は見た目より強いから」
「…………」
「これが病理の現実だ、でもまだ全てを知らなくていい」
「……はい……」



 納得のいかないような表情を浮かべる彼女に気付いたものの
岸はあえて無視することに。

 これ以上ここにいると抑えが効かなくなる…焦った自分は
彼女のおでこにキスしながらそっと立ち去った。



「これで機嫌なおせよ」
「~~~ズルイです!先生!!」
「……お前もな」



 直接好きだと言われたわけじゃない…でも…憎からず私の事を
想ってくれていることだけは分かる。

 そんな彼の態度に甘えて、智尋もまだ全ての気持ちをさらけ出す
ことは出来なかった。

 きっと私の恋心も見透かされてるだろうけど…今はまだ彼の
胸に飛び込んではいけない。

 だって私はまだ病理医として何も会得してないのだから…新たな
決意を胸にする智尋だったがその決壊が敗れるのは時間の問題だ。



「……先生のバカ……」



 どうせなら口唇に触れてほしかった…なんて一瞬でも考えたことは
しばらく秘密にしておこう。





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