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いつかの未来

先生…鹿乃子ちゃんは先生と一緒にいるために努力してるんよ
先生も鹿乃子ちゃんと一緒にいたいんやったら
努力する必要があるんと違う?



 例の事件で、無事に自分の濡れ衣を晴らしてくれた鹿乃子くんと
共に事務所へ帰還してから1週間が経っていた。

 あの男から「同じ力」のことを聞いた彼女は、以前よりも増して
ビラ配りに精を出すようになっている。

 その理由は、女将さんから告げられなくても左右馬には痛いほど
察しがついていた。

 今まで1人で生きてきた僕にとってここまで自分のテリトリーに
他人を入れたのは初めてだ。

 それは、昔からの旧友である馨と同じ匂いがしたからでもあるが…
一番はやはり嘘を聞き分ける力を持っていることが大きい。

 馨に出会う前までの左右馬は、生い立ちから人と深く関わることを
避けて生きてきた。

 でも、アイツはそんなこと関係なく自分自身を見てくれた…だから
僕も彼女にとってそういう人間でありたかった…いや、なろうとした…
と言った方が正しいだろう。



「まさか、違う感情が生まれるなんてね…」



 1人は平気だったはずなのに…もうどうやって年末や正月を過ごして
きたのかさえ思い出せない。

 肝心の鹿乃子くんは、新年のお雑煮の準備やおせち料理の手伝いで
今日の帰宅予定は深夜になっている。

 ほんの1日離れただけでこんなに不安になるなんて考えもしなかった…
僕も…鹿乃子くんと離れたくないのか…

 ようやく自覚した想いに馨の優しそうな笑みが浮かんできて何だか
腹立たしく複雑な気持ちになる左右馬であった。



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「鹿乃子ちゃんは、おせち料理作ったことあるの?」
「はい、小さい頃に母と何度か…でも忘れちゃいました」



 そう…じゃあ今年は私と美味しいものたくさん作りましょうね♪と
いつもの優しい笑顔で微笑む女将さん。

 黒豆に栗きんとん、ちょっと甘めの紅白なますなど女将さんは
慣れた手つきで手際よく作業を進めている。

 包丁が不慣れな鹿乃子は、ゆっくりお刺身を切ったりお豆の味付け
などを聞きながら徐々に始めることに。

 今までは先生と端崎さんしか居なかったから来年はこれまで以上に
賑やかになりそうやわぁと女将さんは言う。



「私…ここに来て…皆さんと新年を迎えられて本当に幸せです」
「そんな嬉しいこと言ってくれるなんて…私たちもよ」
「もう遅いからこのお蕎麦、先生と一緒に食べてきなさい」



 わぁ、ありがとうございます!と満面の笑みで受け取った鹿乃子は
丁寧にお辞儀をして倉田屋を後にした。



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 歩いて1分もかからない事務所へ帰宅した鹿乃子は、女将さんから
頂いたお蕎麦を作り始める。

 すると、2階で寝ていたのか部屋中に漂う年越そばの匂いに誘われて
左右馬が降りてきた。



「おかえり、鹿乃子くん」
「ただいま帰りました!先生、良かったらお蕎麦食べませんか?」



 まだ味噌汁しか食べていなかった自分は、もちろん頂くよと喜んで
返事を返す。

 出来上がったお蕎麦を2人で食べていると、しばらくして彼女は何か
考え込むような仕草をしている。

 どうしたの、もしかして食欲ない?と自分が心配そうに顔を覗き込むと
意外な答えが返ってきた。



「私…あんなに嫌いだったこの力を失うのが怖いです…」
「…どうして?」
「…それは…」



 鹿乃子は、真剣に耳を傾ける先生の瞳を見ながら正直な気持ちを
打ち明けようと思ったが言葉が出てこなかった。

 この力を失ったら一緒にはもう居られないかもしれない…たった
それだけの言葉が今の自分には伝えられなかった。

 いつからこんなに臆病になっていたんだろう…村で暮らしていた
時でさえこんなに孤独を感じることはなかったのに…

 不安で追い潰されそうな表情の彼女を見て、黙っているだけが
優しさじゃないんだと改めて痛感する左右馬。

 鹿乃子くん、僕は君の力が急に無くなったとしてもこの事務所から
追い出したりはしないよ?と語りかける。



「先生はそんな人じゃないって分かってます!…ただ…もし…」
「…もし?」
「もしこの先…先生が誰かと結婚したりすることがあったら…私は
 ここに居たら迷惑だと思うんです」



 なるほど、そういうことか…左右馬は彼女が悩んでいたことが力の
ことだけではなかったことを初めて知った。

 誰の入れ知恵なんだ?と思いながらも、自分自身まだ身を固めること
など考えたこともない。

 ただ…結婚とは違うかもしれないけれど目の前にいる鹿乃子くんと
一緒に居たいという気持ちに嘘はなかった。

 少女でもない、ましてや大人の女性でもない…しかし、確実に自分の
心の半分を占めている存在は彼女なのだ。



「鹿乃子くん、先のことはまだ見えないけど…今、僕の隣にいてほしいのは
 君だけだよ」
「……先生……」
「嘘じゃないって分かるでしょ?」



 初めて会った時からこの人は私に嘘を吐いたことがない…いや私だけ
じゃなく女将さんたちや端崎さん、全ての人に…

 先生は…どうして嘘を吐かないんですか?と思わず口から洩れた質問に
彼は一瞬だけ大きく目を見開いた。

 昔の俺ならきっともう嘘を吐くことに疲れたからだと答えただろう…
でも、今は違う。

 自分を…そして周囲の人々を…大切な人を…傷つけたくないからだと
左右馬は静かに彼女へ伝える。

 鹿乃子は、先生の真剣な目を逸らせないまま言葉も発せず自分の頬が
赤くなるのを感じた。

 先生の手がゆっくりと伸びてきても緊張で動けない私は、恥ずかしさ
から思わず目を閉じる。




ボーン…ボーン…ボーン…ボーン…




 もう少しで触れそうになった口唇は、新年の鐘を鳴らすと同時に
あっけなく現実へと引き戻される羽目に。

 あちゃ~…と頭を抱えている左右馬は、耳まで赤くなっている顔を
隠しながら俯く。



「明けましておめでとう、鹿乃子くん」
「……え!?あっ、は、はい」
「最初に君に言えてよかった」
「…フフ…はい!今年もよろしくお願いします、先生」



 先のことなんて分からないが、目の前にある鹿乃子くんの笑顔を
いつまでも見つめていたいと思う左右馬であった。




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