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捕まったのは僕の方

 新米の宮崎智尋が術中迅速診断を無事に終えたと
知らせが届いたのはその日の夕方だった。

 電話の主は、もちろん俺の苦手な上司で病欠した
自分の代わりに様子を見に行ってもらった大きな
借りのある人物だ。



「お前…アイツには反吐が出るほど甘ぇなぁ」
「何のことですかね、意味が分かりませんが」



 まぁ、細木も例外じゃねぇからそういうことに
しておいてやるよと笑われるはめに。

 お前にしちゃ、鍛えがいのある病理医を見つけたな
と珍しい誉め言葉まで頂いた。

 腐れ縁の同期から、今日のことを聞いていたのは
今から1か月ほど前に遡る。

 まさか自分が体調不良で休むことになるとは夢にも
思っていなかったが、あえてこれを部下に大きく
羽ばたいてもらう良い機会だと考えた。

 しかし、宮崎のことだ。俺がいないことだけでも
動揺することは簡単に想像がつく。

 だから、恥を忍んで中熊先生に連絡を取り様子を
見守ってもらうことにしたのだ。



(確かに自分でもびっくりするくらい甘いな…)



 岸は、熱の引かないおでこに冷却シートを貼りながら
思わず笑みが零れる。

 すると、玄関から何度もチャイムを鳴らす訪問者に
顔をしかめた岸が後ろを振り返った。

 こんな時間に訪問する奴なんて自分が知りうる上で
たった1人しか思い浮かばない。まもなく時刻は
もうすぐ夜の20時を指そうとしていた。

 

********************************************



「岸先生、お邪魔しても良いですか!?」



 案の定、俺の自宅を訪れた人物は今日初めて迅速
診断をこなした宮崎智尋だ。

 突然の部下の訪問に、俺が無言でドアを閉めようと
したところを勢いよく止められる。

 か、風邪!!調子がまだ戻られていないでしょう?
看病させてください!と玄関先でせがまれた。

 いや、必要ないし明日は休みだろ?お前も早く
帰って寝ろと突き放す岸。

 今日のお礼です…何かさせて下さい…とそれ以上何も
発言しようとしない自分の行動を不安に思った宮崎は
か細い声で訴える。



「……俺は何もしてない。診断したのはお前だ」
「そっ、それはそうですけど…」
「来週には出勤できるから心配するな」
「……迷惑、でしたよね……」



 あからさまに落ち込む彼女に、ため息を吐きながら
お粥だけ作ってほしい。あとは風邪がうつるから
絶対に帰れよと言うとはい!と大きな返事が返って
きた。

 右手に大きな買い物袋を抱えてきた彼女をそのまま
送り帰すほど自分も鬼ではない。

 キッチンに大人しく入ってきた彼女は、意外にも
綺麗に整えられている部屋に驚く。

 独身だからといって、俺は人の命を預かる医者だ。
身の回りのことが出来なくて誰も救えるはずはない。
それが俺の持論だ。



「……汚すなよ」
「……もちろんです」



 少しひきつった笑顔の宮崎は、近くのコンビニで
買ってきてくれたのであろう栄養ドリンクやジュースを
机の上に並べ始めた。

 俺は、飲料水を奪い取るとだるい身体を引きずりながら
トボトボと自室へ戻る。

 しばらくして、卵粥と薬をお盆に乗せた彼女が部屋に
入ってきた。

 味の保証はないですけど、きっちり食べて薬も飲んで
下さいねと帰り支度を始める宮崎。

 サンキュなと熱々のお粥を冷ましながら礼を言う先生を
見ながら智尋はつい尋ねてしまう。



「先生は…診断するのが怖いと思ったことはありますか?」
「…………」
「ごっ、ごめんなさい変なこと聞いてますね、私!
 そろそろ帰ります。それではお休みなさい!」



 急いで立ち上がり、帰ろうとした私の腕を掴んだ岸は
座れと静かな声で促す。

 無言の重圧に耐え切れなくなった自分は、言われるがまま
従うしかなかった。

 中熊先生にかなり荒い指導を受けたらしいなぁ今日と
突っ込みを入れると、何で知ってるんですかと言わんばかりの
表情を浮かべている。

 森井くんから聞いたんだよ馬鹿、呆れたように吐き捨てると
そっかと納得の返事をした。



「誰だって怖いさ。俺だっていつも闘ってる」
「……岸先生も?」
「あぁ…でも俺は医者だから怖くても患者と向き合うことを
 一番に考えてるつもりだ。お前もそうだろ?」



 もっともな答えだと智尋は思った。先生はいつも正しい。
でも…私はまだまだ未熟だ。

 自信のなさから先生と森井くんの答えを盗もうとした私の
行動は最低だった。

 そのことを彼に告げたら、最初だから見逃してやると小声で
頭をそっと撫でられる。



「お前のことになると、僕もまだまだ修行が足りないねぇ」
「っく…どういう意味ですか?」



 涙をこらえる宮崎の頬に触れると、彼女の肩がびくっと震え
真っ赤に染まっていた。

 そんな顔されたら期待してしまうだろ?と冗談交じりに
唱えると予想外の答えが返ってくる。



「私も…先生のことになると医者であることを忘れてしまいます…」



 なんつー殺し文句だ…一体どこでそんな言葉を覚えてくるのか
教えてもらいたいものだ。

 風邪だとか熱があるとかじゃなくてお前にキスしたいって
言ったら怒るか?と尋ねると智尋は目を大きく見開く。

 うつ向いたままの宮崎の顎を引き寄せ、口唇に触れた岸は
熱に浮かされたのかそのまま眠りについた。



***********************************************



「岸先生、おはようございます!」


 
 3日ぶりに訪れた病理医の部屋で、先週から溜まっている
ノルマをせっせと片付けている森井くんから嬉しそうに挨拶
された。

 たった1日だけしか休んでないのに、いつもの2倍以上
仕事が積まれている。

 宮崎はまだなのか?と焼きそばパンを頬張りながら机に
座り込む岸は森井に尋ねた。

 さぁ、いつもならもう来てるはずなんですけど…と彼も
さすがに表情をしかめる。



「遅れてすいません!おはようございます!!」



 勢いよく扉を開けて入ってきた宮崎は、俺の顔を見た途端
先生、生きてたんですね…と辛辣な言葉を投げかけられる。

 あの後、言いつけ通りに帰宅したのであろう彼女は食事の
後片付けだけして見事に逃げ去っていた。

 それでも俺の生死が心配だったのだろう。あれから2度ほど
彼女から連絡を受けるはめに。

 果たしてあれは現実だったのか、それとも夢だったのか。
熱で朦朧としていた岸には判断しかねている。

 まぁ、この動揺ぶりを見れば夢でなかったことは一目瞭然
なのだが。



「岸先生がいなくても、私 成長してますから!」



 ふふんと鼻を持ち上げて強気な発言をする宮崎を、少しだけ
虐めたくなった自分は爆弾を放り込む。



「大丈夫だろ、俺に捕まったんだし」
「捕まった?」
「ちょっ、と、岸先生!!何のことです!?」



 手を動かしながら訳が分からないという視線を浴びせる
森井くんなど目に入らない彼女は顔を真っ赤にして俺に
抗議する。

 大丈夫。お前は俺の見込んだ女であり優秀な医者だ。
天狗になるから今は言ってやらないがきっと病理医として
誰からも尊敬される存在になっていくだろう。



(本当、俺も大概 お前には甘いよな…)



 たぶん、捕まったのは自分の方なのだと苦笑いしながら
俺は今日も患者と向き合っている。





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